修論 リターンズ
年が明け、センター試験が終わると、いつの間にか修論の提出期日になる。
これが一つの区切りであるが、うちの研究室ではインフルエンザに感染したとかで締切りに間に合わなかった先輩がいたらしい。もちろん、教員からのフォローはなかったようだ。それまでの関係性が偲ばれる。
修論を出した後は、発表会への準備が待っている。
そして、発表会までの間には、審査してもらう副査の先生のところへ行き、事前に修論の内容をプレゼンテーションするのが慣習になっているので、実質、修論自体と発表会用のスライドは並行してつくるか、修論提出後でも疲労度マックスの身体に鞭を打たなければならない。
通常、副査の一人は他の研究室の先生で、もう一人は同じ研究室の教員(教授か、准教授)、そして主査は同じ研究室の副査になっていない教授か、准教授である。だから、事前にプレゼンテーションするのは他の研究室の先生に1回するだけである。
人数の都合で、修論発表会は2日間に分けられ、近い分野の研究室毎に行われる。
何を勘違いしているのか、うちの研究室の教員は上の研究室に妙な対抗心を持っている。教育者だったり、研究者だったりの目線からきちんと質問してくれればいいのだが、発表の内容を理解せずに、○×の一つ覚えの如く「新規性は何か?」という質問を繰り返す。
ときには、見かねた座長の先生から「この点はこうですよ」と発表内容を回答されることもある。
発表中はパソコンをいじらずきちんと聴いておけばいいのに、と誰もが思う。
本当に恥ずかしい。
また、研究室のセミナーと勘違いしているのか、質疑応答の時間が過ぎても、堂々と手を挙げて質問する。この点については、うまく調整できない座長の先生も問題かもしれないが、時間を過ぎてから本質とはかけ離れた質問をされると、こっちが申し訳なくなってくると同時に、こんな思いも湧く「でも、わかって。こんな教員と毎回ディスカッションをしているんだよ」と。
教授は教授で、同じ研究室の先輩に、修論発表会の場で真剣に質問していることもあった。公開処刑のため? それとも、うちの研究室の学生はこんな質問でもきちんと応答できますという外部評価のため?
同じ研究室の主査の教員が、指導してきた院生に発表会で質問するのは、後にも先にもうちの教授だけだろう。
「質問をされた院生が『ご質問ありがとうございます』とお礼を述べるのを止めさせましょう」と会議で提案するぐらいなら、まともな質問ができるように博士課程ぐらいからやり直してほしい。
ブラック・ラボ
「ブラック 研究室」でググってみると、約38,700,000件というサイトがヒットした。
世の中にはブラックな研究室が溢れているのだろうか、それともこの研究室の話題が他のサイトで挙がっているのだろうか。
検索したサイトをいくつかのぞいてみると、「経験者が語る…理系大学『ブラック研究室』の見分け方7選!」というものが出てきたので、重要そうな項目を拾い転記させていただこう。
1. 明かりが消えない
⇒ 不夜城
2. 教授の人格破綻がエクストリーム
⇒ 健やかな研究生活を送る上で最も大切
3. 鬱患者がいる
⇒ マグネットでチェック
4. 行方不明者がいる
⇒ 公務員試験合格で中退なら良し
5. 就職実績が他の研究室より悪い
⇒ 就活が困難
6. 博士課程進学者が異常に多い
⇒ 修士課程での就活失敗者
7. 博士留年がいる
⇒ 教授の小間使い
これらの項目がいくつ当てはまると、ブラック研究室に認定されるわけではないけれど、うちの研究室で当てはまり過ぎて恐ろしくなる。
5と6の言わんとしていることもわかるが、逆にうちの研究室のように大学院の内部進学者の低さもブラックさを表していると言えるかもしれない。同じ学部の他の研究室はほぼ全員進学するのに、うちの研究室では年々脱出率が上がっている。
また、博士を目指して研究室に入ったにもかかわらず、学部卒で就職してしまうのもブラックさのなせる業か。
3や7についてはどうコメントすべきか。必死になっている先輩を見ていられない。
2、3年に一人ぐらいの割合でドロップアウト者が生まれる研究室を放置している大学もどうかと思うところではある。
話し合うこと
このブログでも紹介してきた通り、うちの研究室には数え切れないぐらいのルールが存在する。
大勢が多くの時間を共有する研究室において、多少のルールが必要なのは理解できるし、大学内のシステムが変わればそれに伴って変化していくことは当然である。
ただ、ルールを決めるなら、納得した上でないと守る気も起らないのが本音だ。
嫌なパターンで多いのが、頭ごなしに上から「これこれはこうする」的な一方通行のお達しである。
その多くは教授からの命令なので、裸の王国では従わざるを得ない(いや、従ったふりをせざるを得ない、といった方が的確か)。
最も嫌なパターンは、「ああだこうだ」と学生と教員で一緒に話し合い、結論が出たことがあっさりと覆ったり、話題にも挙がらなかったことが急に追加されたりすることである。
「時間をかけて話し合った意味は?」と疑問が湧くのだが、そんな思いはこの研究室では通用しないのだろう。
例えば、以下のメーリングリストのような感じだ。
----- Original Message -----
From: Associate Professor <yyy@opq-u.ac.jp>
To: <LAB@ml.opq-u.ac.jp>
Date: 2018-07-29 10:41:56
Subject: [ml-list 1390] 低温室のアガープレート
以下は昨日の朝礼で決まったことですが、いない人も結構いたので情報共有のためメールします。
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①低温室のアガープレートについて(特にカビプレートの処理)
②プレート作製者は名前、日付を書く(これは従来通り)。
③カビが生えたプレートがあった場合は第三者が無断で捨ててよい。その時点でのプレート保有者はプレートを全部ボックスから出し、ボックス内を水洗い洗浄と消毒をする。
④一度出したプレートはボックスに戻さない(目に見えないカビが生えかけかもしれないので)。
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最後の行は私の付け足しですが、昨日の話の流れから特に問題ないと思います。
早速ですが、未使用プレートのボックス(先週カビあり)をきれいにしますのでできれば本日中に、遅くとも月曜日正午までにプレートを全部出してください。
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署名
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十分な時間を使って話し合った後、なぜ自覚を持って勝手に付けたしができるのだろうか?
付け加えるにしても、プレートの保存場所をどうするのか明示しない中途半端なルールであるのももどかしい。
目に見えないカビが生えているかもしれないプレートは、通常の試薬が入った冷蔵庫で保管していいのか?
毎年のように増えていくルールは、新しく研究室に配属される3年生に時間をかけて准教授が説明する。
その時に配布するルールが辞典のような厚みになる日も遠くはないかもしれない。
定期試験
大学の学期は前期と後期に分かれており、それぞれの終わりにまとまった試験期間がある。
この定期試験は、前期だと通常7月末から8月にかけてあるが、大学によっては夏休みが先にあり、その後に定期試験をする。その場合、夏休みの終盤は試験勉強に充てざるを得ないので、快く夏を満喫できない。
うちの大学は前者であり、7月下旬から8月上旬に定期試験が行われる。
定期試験になると、研究室の教員たちが異様にいきり立つ。
試験問題を作るのが面倒とか、採点が大変とか、そんな普通の理由からではない。試験監督でピリピリするのである。
実際に講義をしている科目の試験監督をするのだが、試験には補助として学生5、6人が動員される。
定期試験の開始が13時とすると、12時30分頃には研究室のお茶室に集合させられる。それからまず、くどくど注意点を言われ、次に、試験問題や解答用紙の枚数を数えさせられる。10部または20部の束にし終わると、定期試験が行われる講義室に出発する。不思議なことに、講義室までの廊下ではエレベーター内のように小声になる。
講義室に着き、受験生が教科書やノート、資料を鞄にしまい終わってから試験問題の配布作業に入るのだが、枚数を数えて束にしたのにもかかわらず、受験生への配布は1人ずつなのだ。1学年100人もいない学部だから、昨年単位を落とした上の学年を含め多くて120人ぐらいである。受験生に1枚ずつ配ったとしても、1人に付き1秒なら約2分間、2秒なら約4分。どんなに遅くなっても10分あれば完了する。
試験問題・解答用紙が2枚なら配布する補助は2人で十分だし、3枚なら3人、4枚なら4人で問題ないように思えるのだが、このときばかりは実験よりも定期試験の方が上位にくる。
しかし、実際に配るのは担当する列単位となる。教員たちが推す列毎に担当者を決めて配布するこの方法だと、問題用紙を確認した後に配らないと、どの用紙を配布したのかわかりづらい。現に、同じ用紙を配ってしまったことが過去にあったようだ。それがトラウマになっているらしく、集合時の最初の注意がやけに長いのである。
1枚ずつ配布するなら列を担当する方法ではなく、試験用紙や解答用紙で決めれば問題にならないはずだし、事前に数える必要もない。そもそも前から順に後ろの席へ回すようにすれば6人も不要なのだ。
他大学に通っている友人によれば、教員2人で100人ぐらいの試験監督をするのが普通らしい。
色々と改善の余地はあるものの、教員に提案するといった野暮なことはしない。
なぜなら、教員の中ではこの方法が1番であり、たとえ人数が多くかかっても、この方法で問題なくうまくいけば満足なのだ。教員の満足こそ、研究室を平穏に保つ特効薬なのである。
留学生
うちの大学は、歴史的な背景や土地柄もあり、他大学とは異なる特有な学部や研究センターを有する。また、最近の博士進学事情や文部科学省の政策を背景に、留学生がキャンパス内に多く見られる。
そのため学部内もそうだし、うちの研究室にも2、3年に一度ぐらいアジアやアフリカからの留学生が籍を置く。期間としては、一年間ぐらいだろうか。
実際のところ、留学生が来て大変なのは、教員よりも学生の方である。
まず、来学してくる初日、主要ターミナル駅まで迎えに行かなければならない。「年が近ければ話題に困らないだろう」と教員は安易に考えてくれるが、どんな年代だって合う・合わないはあるし、英語が第二外国語である者同士でどこまで通じるか知りようもない。
大学に到着してからは手続きが山ほどあり、やっと解放されたかと思うと、研究室のディスカッションで別の緊張をしなければならない(こんな日でさえ免除されないのがうちの研究室である)。
翌日以降は、事細かい、そして理解し難い研究室のルールを英語で説明していくのだが、有り難いことに留学してくる留学生は概して頭が良く、空気を読んで察してくれることが多い。
そして、ばたばたしながらも1、2ヶ月は何とか過ぎていく。問題はそれ以降で、なぜか留学生と教授の間に不穏な空気が流れることが常である。噂によると、前職のときに海外からの研究員が問題を起こし、対応に苦労したらしい。ただ、それは噂であるし、留学生には全く関係ない話なので、留学生が話に行くのを怖がるような態度は改めてほしいのだが、一度スイッチが入ったら加速するのみなのである。
留学の経験があるから英語コンプレックスではないだろうが、終わりの方はほとんど会話がなくなり、しまいには実験を早々に切り上げさせるのである。実験に慣れてきて、最後まで結果を出したいと思う留学生にとっては酷な仕打ちとなる。
この打ち切り令が出されたら最後で、サポート役の学生が教授に意見することはできないし、他の教員も見て見ぬ振りを決め込む。
留学生が嫌いなら研究室に配属させなければいいのに、最悪な印象を植え付けて帰国させるのだから、あらゆる面でマイナスに感じる。
それでも大学における評価は、教授が指導教官となり、大学が公表している年度別の業績リストの「教育活動その他」の欄に「留学生受入 1名」と明記される。学部または大学が書き込んだものなら形式上仕方ない点もあるが、本人によるものならどういう気持ちで入力したのだろう。
24 -TWENTY FOUR-
「事件はリアルタイムで起こっている」というナレーションで始まる海外ドラマが人気を博し、ドラマの途中や最後で鳴る秒針の音が事件の緊迫感をより表現していた。
1シーズンが24時間。
そう、24時間と言えば、うちの研究室のルールにもあり、メールの返信を24時間内にしないと『24』さながら研究室に緊張感が走るのである。
たしかに、教授の返信は早い。「依存症ではないか?」と疑わせるレベルである。ただ、周りにもその症状を伝播させないでほしいのだが、研究室の王様は許さない。しかも、ルール上は「24時間以内」とあるのに、直ぐに返信が来ないと「イライラしてくる」と公言するのだから、最優先せざるを得ない。
一方、准教授のメールには「ピペットマンの整理をするので、現在の配布状況が記載されているワードファイルを正午までに送ってください」等といったように期日を指定し、24時間もない場合がほとんどである。相手の事情なんて眼中にないのである。
ここまでならルールに厳しく物事を迅速に進めたい研究室とも思えなくもないのであるが、相手には返信を要求するものの、都合が悪くなると自分はスルーするから学生間で不満が募るのである。
ある年、修士で出ていく先輩が卒論をチェックするよう准教授から突然言われた。年度末は、修論を仕上げ、研究室の片付けばかりでなく、新社会人になるに伴い自身の引越等もあるのだから、急に言われても難しい。しかも、ずっと一緒にやってきた後輩の卒論なのだから、おざなりに見るわけにはいかない。
そんな葛藤もあり、「事前に予定を組込んでいただかないと、十分な時間が取れずに厳しい状況です」とメールを送った。
それでも再度お願いされるのか、それとも状況を加味して人数を減らしてお願いされるのか、気を揉んで待っていた。『24』のジャック・バウアーの台詞を借りるとすれば「今日は今までで一番長い日になる。(”This is the longest day of my life.”)」といった心境だったに違いない。
そんな先輩の思いとは裏腹にその日准教授からのメールはなく、返事を待ちながら先輩は卒業していったのだった。
マグネット
研究室のメンバーの所在地は、研究室に入る前に掲げられている個人の名前が書かれたマグネットで把握される。
多くの研究室がそうであるように、うちの研究室でも帰る時には「帰宅」に、研究室に来た時には「在室」に、お昼ご飯を食べに行く時には「食事」等といったように、各々のマグネットを動かす。
全員で15名以上の研究室となると、全員が「在室」になっていることは稀である。病欠もいれば、就活や実習等もあるし、教員も講義や会議等で不在になるからである。特に、「病弱体質」
で紹介した通り、うちの研究室はルールに則って休みならざるを得ない場合が多い。
管理されている気にならなくもないが、このマグネットによって研究室の内面が露呈させているときもある。例えば、夜中に多くの学生が「在室」となって電気が煌々と点いている場合はブラック度を示すし、長期に亘って「帰宅」から動いていない場合は精神面から自宅療養になってしまっている学生の存在を疑わせるには十分である。
ここまではうちの研究室に限らず、多くの研究室に言えることだろう。
しかし、うちの研究室で面白いのは、マグネットが貼ってあるホワイトボードを伝言板のように使っている点だろう。
特に、准教授は自分のものかのように多用する。何か気になることがあれば、ホワイトボードの余白に記入する。用件が済んだら消してくれればいいのだが、そこまで気が回らない。消さないどころか、ときに油性マジックで書いてくれるので、学生側で消そうにも消えない。この無神経力に太刀打ちできる者はそうそういないだろう。
また、【メール】
でも書いたが広い居室ではないので、用事があるならその学生の机に行けばいいだけなのに、「黒田まで」(仮名)という准教授独自のマグネットを作って、用事がある学生のマグネットの下に貼り、自分のところへ来させるという方法をとる。業績以上に上から目線で癪に障る点の一つである。
あるとき、頭にきた先輩がこの方法を逆手に取り、「黒田まで」(仮名)マグネットを石谷教授(仮名)のマグネットの下に貼るといったいたずらを敢行した。その結果、石谷教授が黒田准教授のところへ行き「なんですか?」と伺いを立てたのだった。真に受けて准教授のところに行く教授も教授だが、それでも「黒田まで」(仮名)マグネットを止めない准教授も准教授である。
卒業までには先輩に倣ってやってみたいものである。