修論 2

教員が研究室に複数いると、それだけチェックが多くなるから、より良い修論になると思われる。

たいてい、准教授か助教のどちらか一方に提出し、まず大まかな流れを見てもらう。次に、修正した修論をもう一方に提出し、やや細かい箇所まで見てもらう。

研究室に教員が一人という学部もあるわけだから、この時点で完成形に近い修論になっていてほしい。

しかし、問題となるのは、教授への提出でこれまでの修正がひっくり返ることだ。

教授から「この文章はイライラするから変えて」と言われればもちろん修正するが、「ここは准教授に指摘されて直した箇所です」と喉まで出かかる。

各教員で好みが違うのは仕方ないことではあるが、修正した箇所を全否定するようなコメントを出すぐらいなら、このやり方を変えないと二度手間、三度手間になるし、否定された教員への不信感を増長させ兼ねない。

 

また、外部に実験結果が漏れることを恐れ、大学への提出用の修論と研究室に残すための修論を作らされる時がある。

研究室用の修論には詳しく分子名や化合物名を記載するが、提出用はそれらを具体的にわからないよう例えば「分子X」というような形で表記するのだ。

2種類も作ると、自分の修論がさも有用なものだったと錯覚してしまう。しかし、時が経つにつれ、2種類も作ることの意義を疑問に思ってしまう。

この修論を基に論文を投稿したという話や、特許を出願したという話を聞かないし、そもそも後輩が引継いでいるわけではない。

結局、教授が研究の価値を過大評価しているだけで、世間から見ればたいした研究ではないのかもしれない。それとも、偉大過ぎて、学生たちには理解できないのか。