スポーツ 3(ザ・ファイナル)

このブログにも、過去に

 

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と書いてきたが、ついに今年度の学部のスポーツ大会に参加しなくなった。

昨年度の大会前、教授から1通のメールが届いた。

 

「研究室としてのスポーツ大会への参加は来年度から禁止、平日のスポーツは11/2月曜日から禁止します。もちろん、休日のスポーツは自由ですし、スポーツ大会も休日なのでどこかのラボに紛れての参加はかまいません。」

 

さらにメールは続いていて、

 

「スポーツ大会への参加と応援は研究室がまとまって行動する良い機会と位置付けて、本筋の研究と勉強を十分に行いながらスポーツも頑張るという教育指導方針で赴任後のこの10年進めてきましたが、優先順位をはき違えている方が急増し、皆さんの本務や社会活動の一部とも認識される研究活動が疎かになっているからです。

個人的には、前勤務先では若い方と活動することが無かったので、スポーツを通して皆さんと交流したり、普段からは想像できない皆さんの活発な姿を見るのは大変うれしく、年一回のことですが、毎年楽しみにしてきました。実際、学会で座長を頼まれても断り、学部を代表しての出張も断り、休日にはいる大学院講義も日程を変更して、時間を作ってきましたが寂しいです。」

 

とどこまでも押しつけがましく、

自分の頑張りや良い先生のアピール

に終始していてうんざりする。

べつに、そんな大事な仕事を断ってまで参加してほしい、なんて頼んでないし。

逆に、教員たちの本務である研究活動でいったいどれだけの成果が出たのか。

2021年にこの研究室から出た論文なんてゼロじゃないか!

 

「しかし、古い伝統や慣習はいつの時代でも新しいステップに移る際には足かせになるばかりなので、本当に必要なものを残してスリム化することが、活動力の不要な分散を防ぐには必要です。」

 

抽象的なことを述べるだけでまったくよくわからないし。

教員たちの任期が切れるから、新しいステップに移るんだったらオモシロイんだけど。

 

そして、メールの通り、2021年の大会は、研究室として参加することはなくなり、スポ研の看板を下ろし、スポーツも研究もダメな研究室に成り下がってしまった。

ホームページ

 研究室が新しくなり、それに伴ってホームページが一新したのが数年前。

それからしばらくの間は、一人の教員が専属で更新作業を担っていたらしい。

ホームページの担当が別の教員に代わると、途端に更新のスピードが遅くなった。

 

新年度になって1カ月、今年度の更新情報は研究室のメンバーぐらいである。

これまでいてくれた戦友ともいうべき先輩たちの名前が消えているのを見ると、非常にさみしく、愚痴を言い合えないことが今後つらくなりそうだ。

「ようやく出所だ」と喜んでいた先輩たちが去ってから、まだたったの1カ月。

自分らが出所するまでこの精神はもつだろうか。

 

研究室のメンバー以外の更新はというと、

「久しぶりの集合写真のアップです」

とあるものの、リンクが合っていないのか画像が見えない状況。

卒論や修論で、違う図を貼ったり、貼り忘れたりしたら、ただでは済まないだろうに…。

 

その他に更新した個所はというと、文献紹介の欄である。

セミナーblack-lab.hatenablog.com

で紹介する文献のリストだけは、ほど良く更新されている。

大型の研究費を持ち、学内の長が付く立場にあるのにもかかわらず、自分の研究室の業績は増えず、セミナーで紹介する他の研究室の論文だけ加わっていくのである。

一見するとすごい業績のように思えるが、実際は虚しさだけである。

他の研究室のセミナーで紹介してもらえるような論文を投稿するのに、あと何年かかるんだろう。

 

10周年

教授がその研究室に赴任して10年経つと、

10周年記念として歴代のメンバーをよんでお祝いをするのが一般的らしい。

ただ、一般的な常識を打ち破るのがうちの研究室である。

教授がこの大学の教員になって11年目になるのに、

お祝いの「お」の字も出なかった。

卒業した先輩から数ヶ月前に「どうするの?」と連絡がきたけれど、

研究室内ではそんな話は全くないし、

デリカシーが抜け落ちている准教授は気にも留めていない様子なので、

「わかりません」と返信するのが精一杯。

教授の人徳から察すると、

卒業して他県に行った先輩がわざわざ駆けつけるとは思えないし、

散々苦しめられた先輩に至っては、あえてドタキャンをしそうで恐ろしい。

新型コロナウイルスのせいで会食の禁止

というお達しがきているからカムフラージュになっていいのかも。

折角の祝賀会がコロナ禍で流れてしまった可哀想な教授

アピールできる。

外の目ばかりを気にする教授だから、これで問題なし。

 

 

あー、早く卒業したーい。

コロナ禍

新型コロナウイルスの影響は多大だ。

我が研究室の日課となっていた「朝礼」

 

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が三密を避けるために中止となった。

この「朝礼」葬式お通夜と揶揄されていたことからもわかるように、

「朝礼」がないと朝から気分が良い。

 

また、どんなことがあっても続けてきた

夕方の「ディスカッション」

 

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 を止めたし、

研究室の閉鎖も一時期ではあるがあった。

 

先輩方が聞いたらどんなに驚くことだろう。

 

コロナ禍において、大きな声では言えないが、

うちの研究室においては「密は蜜」である。

 

ただ、やっぱり一筋縄ではいかないのが、うちの研究室であり、うちの教員陣だろう。

離れて座ってのディスカッションなら問題ないと思われるが、

コンビニやスーパーのレジ、また銀行の窓口にあるように

仕切りを置くようなこともなく、

対面でのディスカッションは絶対にしない(喫煙者だから?)。

 

しなければしないで有り難いが、

ただ、実験を始める前に一語一句(とは言い過ぎか)指示された通りの

実験プロトコールを作成し、

教授がそれを認めないと実験を開始できない。

 

細かい点まで記された3ページにまで及ぶ

プロトコール、実験計画ファイルのフォーマットについて」

を熟読し、適合するように書かなければ実験まで辿り着けない。

 

ここまでくると、「実験をさせたくないのか」とも思えてくる。

 

その昔、他大学から来た修士の院生の先輩に対して

執拗に調べ物をさせて実験をほとんどさせなかったことや、

留学生に早々に卒研を終了させたことなどの噂も、

あながち尾ひれが付いた昔話ではなかったのかもしれない。

 

それでも、朝は快適だし、顔を合わせる機会も減ったので、

卒業まではこのままであってほしいところだ。

 

マスク

うちの研究室の教授は、いわゆるヘビースモーカーである。

セミナーが長くなると、「休憩しましょうか?」と学生を思いやるかのように言いつつ、本人は喫煙所へ向かう。ニコチンが切れたのだ。

最近では、大学内の灰皿が撤去されて完全に禁煙環境なので、通り向かいのコンビニへと行かざるを得ない状況だ。

 

「いい機会だから禁煙すればいいのに。」

誰もが思うところではあるが、喫煙には信念があるのか、ただ中毒になっているのか、決して止めようとしない。

 

さて、昨今の新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、

研究室内でのマスク着用をうるさいほど注意される

ようになった。

 

そんなこと言われても、売られておらず、手に入らないのにどうしたらいいのか。

 

マウスを扱う実験をするときはマスクをし、手袋をはめて行うので、研究室にはマスクのストックがある。

そこで、研究室にあるマスクを付けていたら、やっぱりクレームが来た。

 

「研究室で購入しているのは動物実験用です。このままいって、マウス室に入室する際のマスクが無くなっては一大事です。逆に言うと、そのために獲得した予算で購入しています。」

 

言わんとしていることはわかるけれど、研究室内で着用を強制するなら、研究室で用意するのが筋だろう。

それとも、開店前からドラッグストアで並んでくると言ったら、コアタイムは免除されるのだろうか。

 

仮にマスクをせず、COVID-19に罹患した場合、学生間での蔓延を心配しているわけではないだろう。

新型コロナウイルスに感染した学生が所属する研究室」という外部からの評価や、教員の中でも、年齢的、さらにヘビースモーカーである自身への感染を恐れ戦いているから、「マスク、マスク、マスク」と連呼するに違いない。

そもそも自粛が叫ばれているのだから、研究室を閉鎖してテレワークにしてしまえばいいのに。

教員側の気遣い

前回、学生からの教授への気遣いについて書いたが、今度は教員側の気遣いを記しておきたい。

教員側といっても、教授、准教授、助教とおり、三者三様であることから一括りにできない。

その中でも准教授の気遣いは、優しさからくるものなのか、ときに首をかしげざるを得ず、ブログで晒すネタとしては丁度良い。

 

例えば、研究室内では誕生日を迎えた学生に、先輩や後輩などの年齢に関係なく、大学生協などで買ってお菓子などをプレゼントする。贈る物はやっぱり誕生日プレゼントに合う、でも、恋人同士ではない少しユーモアが入った普段買わないようなものとなる。

あるとき、博士課程の先輩が誕生日を迎え、

同級生からメガサイズのチョコレートが贈られた。

顔よりも大きいぐらいだろうか。

先輩と席が近かった准教授は、「誕生日おめでとう!」ではなく、

「私も食べてあげましょうか?」と宣った。

准教授には、大きなチョコレートをもらって食べ切れない大変な大学院生に映ったのだろうか?

それとも、美味しそうだから「ちょっと頂戴」を准教授特有に変換した言い回しだったのだろうか?

 

教員側の気遣いなんて、所詮こんなものである。

狭い研究室の世界しか生きてこなかったオレ様たちに、今を生きる学生たちの気持ちがわかるわけがない。

気遣い

2月25日

国立大学の前期の入学試験が行われる日である。

大学構内への立ち入りが禁止されているため、公明正大に研究室を休める有り難い日でもある。

一方で、教員たちはこの時期忙しいらしく、試験監督に判定会議、場合によっては採点も担当する。

また昨今、流行の兆しを見せている新型コロナウイルスの対応についても、教授会などで話し合う必要が出てきているのだろう。

 

教員の中でも特に教授は忙しそうで、会議後はしばらく教授室に来るな、と言い出す始末である。

会議の直後は溜まったメールの処理に充てたいらしい。

指導している学生の研究の相談よりも、メールの確認の方が大事になってきている時点で、研究者ではなくなってきているように思われる(そんなことはもちろん言えないが)。

 

会議が終わった教授が教授室に入るためには、お茶室を通らなければならない。

学生からすれば、実験の待ち時間のコーヒーブレイク中、疲労感を漂わせた教授と対面しなければならない。

そんなとき、できた先輩はお茶室に溜息をつきながら入ってくる教授にすかさず「おつかれさまでーす!」と疲れを汲み取る姿勢を見せる。

休んでいることへの批判をかわすと共に、アピール満載の教授への気遣いを示す高等テクニックである。

この溜息というのは、「オレ様は長時間に亘る会議をやってきたんだ」という意味を含んでおり、「おつかれさまでーす!」から会話(というより愚痴)が出始めたらしめたもので、その後は学生たちの休憩に対してではなく、会議に対する文句一辺倒になる。

この愚痴中は、オーバーな感じぐらいに相槌を打っておくことがポイントらしく、その後の教授の態度が和らぐそうだ。